ケベック州モントリオールと並んで、カナダでゲーム開発が盛んな地域が、太平洋岸に位置するブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバーだ。米マイクロソフトや任天堂があるシアトルから飛行機で2時間の距離にあり、映画産業も盛ん。カリフォルニアの北にあることから、同州は「ハリウッド・ノース」とも呼ばれている。
ケベック州のゲーム産業が97年、仏ユービーアイの進出を契機に発展したように、ブリティッシュ・コロンビア州も米エレクトロニック・アーツ(EA)が91年にカナダ子会社を設立したのが成長の契機となった。同州のEAカナダスタジオは、今や2000人の規模。日本の任天堂の社員数が約1400名なのを考えれば、その規模がわかるだろう。
「クラッシュ・バンディクー」シリーズの開発などを手がけるラディカル社も、こうしたバンクーバーの地の利を生かして活動する、地場ゲームスタジオの一つだ。91年に起業後、仏ビベンディ・ユニバーサル・ゲームズ(現アクティビジョン・ブリザード)の子会社となり、現在は230人のスタッフを抱え、同州で6番目の規模を誇る一大スタジオになった。これまで出荷した本数は世界で2500万本で、カプコンの「ロックマン」シリーズ(2750万本)に匹敵する。本社以外にも米(160人)、英(120人)、スウェーデン(80人)のスタジオを設置している。
同社で驚かされたのは、情報共有システムだ。グラフィックとプログラムの情報を管理するシステム「GYM」の社内開発を着手したのは、PS2が発売された00年だという。そこから改良を重ねて、現在は3DツールのMayaと統合し、大規模なゲーム開発に不可欠なシステムとなった。日本でゲーム開発環境の整備が重視され始めたのはXbox360、PS3の“足音”が聞こえてきた05年ごろ。ラディカル社は、PS2が登場したとき、ゲーム業界に与えた衝撃を正しく理解していたのだ。
ラディカルだけでなく、カナダで感じるのは、見通しの確かさと、打つ手の正確さだ。同州の業界団体「ニュー・メディア・BC」の発足は98年。ゲーム開発が学べる大学「グレートノーザンウェイキャンパス」の設立を行政に働きかけ、EAの協力も得て07年秋に開校した。08年1月にテレビゲームの開発技術を議論する「ゲームデザイン・エキスポ」や、9月に同州で初となるテレビゲーム開発者会議「バンクーバー・インターナショナル・ゲームサミット」の開催も予定されており、ゲーム開発力の底上げをめざす。
連邦制のカナダでは、州の自治権が極めて強い。ゲーム業界においても、ケベック州とオンタリオ州、ブリティッシュ・コロンビア州が、それぞれ独自の産業政策を打ちだしている。アメリカに比べてカナダのゲーム市場は10分の1にすぎないが、世界のゲーム産業に不可欠な存在となっている。(初出:まんたんウェブ2008年1月4日)