ゲームライターの魅力


日本はベテランが自分たちの仕事をおとしめるような発言をする不思議な国です。特にフリーランスが多い業界(出版・映像・音楽・アニメなど)では、「うちの業界は超絶ブラック」「なるのは勝手だけど続かない」「正直、勧められない」などと、アマチュアに対して威圧的かつ排他的な言動がしばしば聞かれます。たしかにそういった側面もあると思いますが、「若くて新しい才能が入ってきて、自分たちの仕事を減らされたくない」という、既得権益者ならではのポジショントークが混じっていたりもするので、厄介です。まあ自分も「ゲームライターになるには?」「ゲームライターの続け方」という記事を書いたりもしましたので、バランスをとって「ゲームライターの魅力」についても書いておこうと思います。

自分にとって、ゲームライターの最大の魅力は「ゲームの情報を扱うことで生活できる」ということでしょうね。リリースずみのゲームを遊んで記事を書くだけでなく、取材などを通してリリース前の情報に触れられるようになったり、インタビューなどでゲーム開発者から話を聞けるようになったり、イベントを取材できるようになったりすれば、一般ユーザーでは接することのできない一次情報にも触れられるようになります。「この情報は(開発者を除けば)世界中で自分一人しか知らない」→「だから記事を書いて発信する」という楽しさは、この仕事ならではでしょう(だから自分は世界中で日本人が一人しかいないような、マニアックな海外取材が好きです)。

ただ、注意が必要なのは「自分が好きなゲームの情報だけ扱える」というわけではないということ。むしろ「ゲームという表現手法や構造」自体に関心があったり、おもしろがれたりする人でなければ、ちょっと続かないかもしれないですね。もっとも、最初のうちは「自分が好きなゲームの情報に触れられる」ことを目的に仕事をしても、全然OKです。そこからだんだんと視野を広げていければいいのですから。自分もこのスライドに書いたように、もともとはアナログゲームのファンで、デジタルゲームにはあまり良い印象がありませんでした。にもかかわらず、今やこんな仕事をしているわけですから、人生ってわからないもんですね。実際、もっとアナログゲームを遊んで、勉強しないと・・・と最近は実感しています。

その上で「フリーランス」のゲームライターの魅力といえば(これはフリーランス全般に言えることですが)、「(実力さえあれば)人間関係に悩む必要がない」ことでしょう。飲み屋の定番のネタに上司や同僚の悪口がありますが、自分はフリーになって以来、こうした問題に襲われたことがありません。ある人との仕事で辛い目にあったら、次からはその人からの仕事を受けなければ良いだけですから。それで仕事がなくなるようなら、自分に実力がないだけなので、修行と思って耐えれば良い。このように「手段と目的」が明確で、いつでも自分主導で仕事の切り替えができる環境に身を置いていれば、ぐっと楽になります。失業する自由があるのも事実ですが、人間関係を自由に築いていけることが、フリーランスで最大の魅力ではないでしょうか。

もっとも、「フリーランスだから、できない仕事」もあります。基本的にフリーランスに発注される業務というのは、「仕事の切り分けができる」「成果物のイメージが発注側と受発注側で、ある程度共有されている」「単価がはっきりしている」ものに限られます。我々だと記事一本あたり何円という世界ですね。逆にいうと「ゼロからイチを作り出すような仕事」、たとえばメディアを新しく立ち上げるような仕事は、あまりフリーランス向きではありません。責任の所在が不明瞭になるからです。同じように編集長のような仕事もフリーランスには向いていません。うっかり引き受けたりすると、失敗したときに詰め腹を切らされたりします。せいぜいコンサルティングどまりにしておいた方が無難だと思います。

実際、自分もフリーになった時、先輩から「好きな仕事」「楽な仕事」「お金になる仕事」のどれかを選んで、お手玉していくといいと教わりました。この自由さがフリーランスの特権です。裏を返すと、この3つが全部そろうような仕事は、フリーランスだと(よほど才覚と幸運に恵まれていなければ)難しいということです。このことはまた、「好きな仕事」「楽な仕事」「お金になる仕事」をすべて叶えるような仕事および環境を、会社というリソースを駆使して作り上げていくのが、会社員の醍醐味だともいえます(その極端な例が起業です)。だから、状況に応じて会社員とフリーランスを行ったり来たりできるようになればいいんですよね。実際、そういった人も周りには何人かいますし、今後はもっと増えていくと思います。

その上で、自分にとって譲れない一線は何かについて、よく考えること。ぶっちゃけ自分は「やりたい仕事は特にない(だから頼まれれば、NPOのスタッフから学校の先生まで、いろいろやってしまう)」一方で、「やりたくない仕事だけは明確にある」という性分でした。会社を辞めた理由も「ゲーム批評だけ(自由に)やりたい」という希望が叶えられなかったからでした。まあ、そんなこと当たり前ですよね。会社のミッションは事業を存続させることで、媒体はその手段にしかすぎません。つまり、手段と目的が逆転していたわけです。その願いに自分の仕事を近づけるには、フリーランスになるしかありませんでした。そして、このフリーランスという生き方が、意外と自分にあっていたからこそ、ずるずる続いているわけです。

まあ、前にも書きましたが、学生の正社員嗜好が強まる中で、出版に限らず多数のフリーランスの存在を前提とする業界は、これからどんどん厳しくなっていくでしょう。一方で全員が全員、会社員としてキチッと働いていけるほどちゃんとしているかというと、そうでもないような気がします。よく「みんがみんな、フリーランスとして生きていけるほど強くない」と言われますが、逆に「みんながみんな、正社員として生きていけるほど強くない」気がする今日この頃・・・。その上で今後は両者の境目がどんどん曖昧になっていくのではないでしょうか? 話は変わりますが欧米でインディゲームが隆盛なのも、「駄目だったら、また就職すれば良い」という気安さがあるから。日本も早くそうした働き方が一般的になると良いですね。